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授業が与えるもの [その他のアカデミックな考察]

もうすぐ新年度になるワケですが、その前に、「授業」について考察してみることにしました。

まず、高等教育では、初等中等教育より、勉強における授業のウェイトが下がると自分は考えている。

初等中等教育(小学校〜高校)では、アタリマエだけど、文科省による方針を元に、社会生活上&受験に必要な知識が授業によってなされている。
また、問題演習も授業範囲が前提なので(問題の難易は関係ない)、授業とはかけ離れた問題を解くことは少ない。
あるとしても、漢検や英検や数検、あるいはその他の一部の資格くらいで、ウェイトは小さいと考える。

このあたりについては、教育学の事情はワカラナイので、おいといて、ここでは高等教育について考察を進めたい。

フツウ、多くの人は大学や大学院のあとは就職する。
そして、そのためには就職に向けた勉強をする必要がある。

こういう時期にあってする勉強は以下のようなものがあると考える(これが全てではないけど)。
・アカデミックな内容
・資格取得のための勉強(TOEICとかも含める)
・SPIなどの常識問題系の勉強
・その他の就職テク系

このうち、資格を意識した一部の授業を除いて、原則的に大学の授業ではアカデミックな内容が扱われる。

とはいえ、上に挙げた他の三種の勉強も自分で勉強する必要があるし、また、アカデミックな内容は授業以外でも独習する必要もある。
そのため、初等中等教育自体に比較して、「割合的」に授業のウェイトが下がるのは必然とも考えられうる。

さて、このように授業のウェイトが下がるワケであるが、では、授業は大事ではなくなるのかという疑問がここで生じてくる。

自分は、「間違いなく、"No" である」と考える。

資格やSPIとかは、就職との関係が分かりやすい。
でも、アカデミックな内容の知識は、自分のオリジナリティを(面接とかで)結びつけるという意味で重要なものだと考える(ここでは、就職という点で述べているけど、それ以外にもアカデミックな内容の勉強の重要性はあると考える。ただ、ここではオミット)。

そこで、アカデミックな内容の勉強が重要であるといったことを前提として、さらに進めていこう。

先程挙げたように、アカデミックな内容は授業と独習で得ることができる。
ただ、これらの2つは、長所も短所も持っている。
独習の場合、自分のレベルで進めるが、前提知識がないと、なかなか難しい。
その際に、前提知識(基礎知識)は、その分野のエキスパートである教員による授業によって得ることが重要になる。

従って、基礎的な知識を教えるという教員の役割は重要なものとなる。

ここからが本題。
問題は、その教員が行う授業である。

その分野を教えることを「目的」とした授業では、その分野に関することを授業で教えていくことが必要である。
その分野に関してちゃんと教えない限り、その授業は全く役立たずとなってしまう。
つまり、時間のムダなだけである(下手でも教えているなら、完全に時間のムダとはならない)。

例えとして、「情報社会における経済」について扱った授業について考えてみることにしよう。
当然のことではあるが、ここでは「情報社会」と「経済」を軸とした授業展開がなされる必要がある。
すなわち、このキーワードとかけ離れた内容で授業時間のほとんどを費やす場合、その授業は「時間のムダ」というべき「役立たず」な存在となる(息抜き程度の雑談は別)。

従って、例えば、このような授業で担当教員が、「情報社会に生きる我々が行う勉強法」を情報社会学(あるいはこの授業では経済学も同様)とは関係ない視座で話すことにほとんどの時間を費やすことは不適切となる。
また、同様に、「情報社会に生きる教員が行った旅行」について、たとえ現在がちょうど情報社会であっても、情報社会と関係ない旅行話に時間を注ぐのは、息抜き的な場合を除いて、適切だとは考えづらい(1日中勉強ばかりしてなくちゃいけないワケじゃないし、フツウの話を学生同士で話す時間くらい確保できるワケだから、長時間の息抜きを授業中にする必然性はない)。

つまり、このような状況のある授業は、「『目的』を果たすことのできない、意味を持たないもの」といえる。
もっといえば、関係ない内容がメインで、目的を果たせない授業など存在してはいけないはずだし、そのような状況は絶対に放置してはならない。
そして、授業目的、教員の目的や目的といった点で、何らかの対処が必要なはずである。

ここで、「授業アンケートがあるのではないか」という意見があるかもしれない。
しかし、授業アンケートによる改善は必ずしも行われるとは限らない。
アンケートの結果を授業に反映する具体的義務を設けるは難しいし、設けたとしても、それを誰が判断するのかといった問題がある。
それどころか、アンケートを、「忘れた」といって行わない場合もある。
しかも、そうやって実施しなかったことに関するサンクション(制裁)はないため、否定的意見がイヤなら逃げれるのである(もしかして一言注意ぐらいはあるかもしれないが、減給などといったサンクションはない)。

従って、よい授業や教員ならばアンケートは効果をなすが、問題のある授業や教員では効果がなく、アンケートは効果のある対処法とはならない。

では、残る方法は何か?
それは、学生から教員に、間接的であれ、直接的であれ、伝えることしかない。

意図的に成績評価のない聴講を使うのもいいし、インターネットでさりげなくなにか書くのもいいし、他のリンクで間接的に、メッセージを伝えることは必要なことだと思う。
授業改善というのは教員にとってもマイナスになる事柄ではないと思うので、必ずしもサンクションを意味するものではないはずだから(だからといって、サンクションを否定したくもないが…)。

授業は初等中等教育よりウェイトが低くなっているけど、基本的な知識を得るためには必要なものである。
それを「時間のムダ」にするのはもったいない。
そこで、授業はよいものであってほしいし、来年度もそのような授業を期待したい。


*****
見直しをしてないので、一部おかしなところがあっても眼をつぶっておいてくださいな。
あと、批判的検討とかあったら、コメントくださいな。


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